幸せってなんだろう
違う文化に触れると、今までは意識しなかったことを考える。旅をすると、空港の待ち時間・歩いている時・電車の中でボーッと外を眺めている時など考え時間がある。
最古の道「山辺の道」を歩きにいく電車の中、やまとの風景を見ながら「幸せってなんだろう」ということが頭に浮かんだ。
最初に頭に浮かんだのは、
「幸せって 何だっけ 何だっけ~。ぽんずしょうゆのあるうち(家)さ。ぽんずしょうゆはキッコーマン、ぽんずしょうゆはキッコーマン、キッコーマン。」
さんまさんのCM。さんまさんの出身は桜井。今向かっているのは桜井。何となく奇遇を感じた。
この歌は、あながち間違いでないかも知れない。「ぽんずしょうゆがある」という小さいことに幸せを感じること。小さいことに幸せを感じることは正しいことかも知れない。
人間は状況に慣れてしまう。年収が増えても幸せは頭打ちするという。小さいことに幸せを感じる方が、幸せの持続力は長いのかも知れない。
・・・・・・・・・・・・
「何にも持っていないのに、なんで幸せなんですか?」という本を読んだ。
著者は、文化人類学の奥野克巳さんとアナウンサーの吉田尚記さんという不思議な取り合わせ。
![]() | 新品価格 |

プナン族は、マレーシアのボルネオ島内陸の森林に居住する採集狩猟民族。
彼らは、反省も謝罪も感謝もしない。そもそも概念がない。そして今を生きる。明日、会社でプレゼンやだな。上手くいくかな。とか心配しない。
プナンたちには悩みがなく、とても幸せそうに見えるのは、今とここの具体的な現実だけに向き合っているからだという。(中略)
彼らは、将来という漠然とした事柄を持ち出したり、幸せとはなにかということを抽象的に考えたりすることはほとんどありません。
ただし、みんな平等で権力を持つ人を生まない仕組みがあり、工夫しながら伝承されている。
プナンが幸せに見える理由は、他にも考えられることが幾つかあります。
そのうちのひとつは、彼らが権力を持つ人物を生まない工夫をしているということです。誰かの支配に服従することなく、誰もがのんびりと暮らす社会が築かれているのです。
吉田さんと内藤さんとプナンの狩猟キャンプに消在しているときに、獲れた動物の肉を、みなの見ている前で、そこにいる家族に均等に分配している場面に出くわしました。私には、そのシーンは、誰もが、どの家族もが等しく尊ばれるという原理を示すパフォーマンスのように思えたのです。みなが等しく同じ存在だということは、裏を返せば、力を持つ存在を生まないということです
奥野)狩猟に行ってヒゲイノシシが獲れるかどうかは「運だ」と彼らは言います。狩猟に行けば必ず獲れる名人のような人に関しても、「カミがついている」といった表現をします。その人が自分の狩猟の能力を誇らないように工夫しているようにも思えるやり方ですよね。大きなヒゲイノシシ が獲れたとしても、小さいものしか獲れなかったといった表現をするのも、そうした風習にまつわることです。
吉田)謙遜するんですか。
奥野) 狩猟民社会で大きな獲物を獲ってきた人が褒め称えられて、技術が高いと思われることによって階層ができていくことを防いでいるのではないかとする人類学の議論があって、それに近いんじゃないかなと思います。
幸せって、
- 小さな幸せをたくさん見つける
- 今を生きることに集中する
- 仕組みの維持には、工夫と伝承が必要
なんだろうなと思った。
幸せはお金で買えるか
「幸せはお金で買えるか」について、面白いデータがあった。
所得水準の高い国では不幸と感じている者はそれほど多くない傾向がある。一方、所得水準の低い国では、幸福度に大きなばらつきが認められる。
「幸せがお金で買えるというよりは、お金で不幸せを取り除くことができる」
特異な国がベトナム。ベトナム人は所得が低いのに幸福度はピカイチ。日本より幸福度が高い。
すごいぞベトナム。

以前仕事で付き合いの多かったメキシコ。仕事をしていても楽しかったけど、やはり幸福度は高い。毎年のサーベイ結果でも、仕事へのエンゲージメント率が高った。アメリカより平均10%高くて、現地の社長が褒められていたけど、実態は国民性や文化的な背景があるんだろう。
あと、左上の国に行ってみたい。特に、キリギス、タジキスタンにはどんな人々がいるのか気になった。
コメント