七面山・敬慎院での一夜|モンスーン風土が育てた日本人観に想いを馳せて

南アルプス

はじめに

山梨県、身延山の西にそびえる標高1,989mの聖山・七面山。その山頂近くに位置する「敬慎院」に宿泊してきました。

※宿泊や山歩きの詳細については、別記事『七面山・敬慎院の宿泊記|山門の「額縁富士山」と御来光の絶景』にまとめています。

「敬慎院」は、日蓮宗総本山・身延山久遠寺の奥の院として古くから信仰を集めてきた霊場です。かつて日蓮聖人の説法中に美しい女性の姿で現れたという「七面大明神」を祀り、龍神伝説が今も息づいています。仏教の仏様と、七面大明神という神様が共に鎮座する「神仏習合」の姿は、現代の日本人にとっても非常に興味深い風景です。

そこで、携帯もつながらないというデジタルデトックスの状態で、冷たい冬の寒さと暴風のなか一晩過ごし、モンスーン風土が育てた日本人観について思いを馳せました。

それは、物理学者・寺田寅彦と哲学者・和辻哲郎の思想が交差する、思索の旅となりました。

寺田寅彦が説いた、自然の「厳父」と「慈母」

冬の厳しい寒さの中、七面山の急な坂道を一歩ずつ登りながら、頭に浮かんだのは物理学者・寺田寅彦の「日本人の自然観」でした。

彼は、日本の自然には二つの相反する顔があると言いました。豊かな恵みをもたらす「慈母」の顔と、時に容赦なく襲いかかる地震や台風、険しい地形といった「厳父」の顔です。

寺田寅彦は、日本人が抱く「あきらめ」や「無常観」を、単なる弱さではなく、「抗えない巨大な力(厳父)をありのままに受け入れ、順応する知恵」であると捉えました。

敬慎院で過ごす夜、強い風が室内にも吹き込んでくる厳しい自然を感じることで、日本人がこの「厳父」への畏怖を忘れられない民族なんだと思いました。

神仏習合:自然を正しく恐れるための知恵

「敬慎院」はお寺でありながら、中心に「七面大明神」という神を祀ります。この「神仏習合」の姿こそ、国土の3分の2を山地が占め、その麓で稲作を営んできた日本人が、過酷な環境に適応するために生み出した知恵の象徴ではないでしょうか。

寺田寅彦は「天災を正しく恐れること」を説きましたが、古来、日本人は自然の荒々しさを「神」として祀り、鎮めることで、その恐怖を「聖なるもの」へと昇華させてきました。

自然の側面捉え方信仰
厳父(険しい山・天災)逃れられない強大な力「畏怖すべき神」として祀り、鎮める
慈母(豊かな水と山)自然からの恩恵「慈悲深い仏」の現れとして感謝する
神仏習合境界のない柔軟な思考自然・神・仏を一体として受容する

この柔軟な受容性こそが、日本独自の精神性を形作ったのでしょう。

敬慎院での滞在:不便さの中で「身体」が知る真理

敬慎院での滞在は、現代の日常とは切り離された体験でした。さらに、厳しい自然の中に生きていると実感するものでした。

消灯後の深い闇と、肌を刺す山の冷気。不便さゆえに五感が研ぎ澄まされる環境に身を置くと、自然のサイクルを身体が感知し始めます。 科学者でありながら実体験を通じた観察を重視した寺田寅彦が言うように、頭の中の理論ではなく、この「体感」にこそ真理が宿ります。かつての人々がこの過酷な環境を日常としていた時代、彼らの知恵はまさにこの「身体」を通じて形づくられていったのだと、寒さの中、風の音を聞きながら感じました。

山門に浮かぶ「額縁富士山」と、雲南省「梅里雪山」の記憶

この旅のクライマックスは、早朝の山門でした。

正面に富士山を望むように建てられた山門の重厚な枠に、夜明け前の富士山が静かに姿を現します。いわば「額縁富士山」とも呼ぶべき、自然と人工物の調和をもった神秘的な光景です。

山門を使った「額縁富士山」

太陽が富士山を照らし、刻々と変わる風景。昨年訪れた中国・雲南省の聖山、「梅里雪山」での「日光照山(朝日に輝く山)」の記憶が蘇りました。黄金に輝く頂を仰ぎ、心が洗われる感覚。それは、富士山を仰ぐ日本人も、聖山を仰ぐチベット族の人々も、同じように山を水の源、命の源として敬ってきました。

*「梅里雪山」への旅の詳細については、別記事『雲南省•ラオスの旅② 梅里雪山と巴拉格宗香格里拉大峡谷に行く』にまとめています。

和辻哲郎は、日本の風土を「モンスーン型」と定義しました。湿潤で豊かでありながら、台風や洪水といった猛威を振るう環境。ここで育まれるのは、自然への「忍従」と、不意の災厄に対する「突発的」な覚悟です。

  • 忍従: 絶え間ない湿気や暑さに耐える、受動的な忍耐強さ
  • 突発: 台風・地震のように、平穏な日常が突然暴力的に破壊されることへの覚悟

この「いつ何が起こるかわからない」という自然への畏怖が、個人をバラバラにするのではなく、「運命共同体」への強い結束を生んだと和辻哲郎は分析していました。

この瞬間、日本人はモンスーン型環境で稲作を営む山岳の民であって、雲南省(さらにベトナム、ラオス、ミャンマー)の山岳地帯の人々と似たような厳しいモンスーン型環境の人々と同じく、自然に対して耐え忍ぶ必要があり、似たような八百万の神や自然崇拝という考えが生まれたのだと思いました。

「間柄」の倫理と、現代に息づく「突破的な力強さ」

和辻哲郎が説く共同体の最小単位は「個人」ではなく「家」や「間柄」です。 厳しい自然から身を守るために、個のワガママを排し、他者との関係性(間柄)を維持すること。

さらに、普段は穏やかで従順ですが、共同体の危機(自然災害や祭礼など)の際には、爆発的なエネルギーを持って献身する「突発的な力強さ」を持っています。

この日本人観の根底にある「間柄」と「突発的な力強さ」があるからこそ、私たちは東日本大震災のような大災害に際しても、スクラムを組んで立ち向かえたのではないでしょうか。

日本人の「間柄」と「突発的な力強さ」といった良い面は、社会の仕組みが変わっていく中でも、無くなって欲しくない日本人観と思いました。

生命の鼓動:ジャズのように響く読経

話は変わりますが、もう一つ印象に残った出来事は、夜と朝のお勤めで耳にした日連宗の読経の響きでした。

激しく打ち鳴らされる太鼓と木魚のアップテンポなリズム。それに乗せて、各々が自分の呼吸で「南無妙法蓮華経」を重ねる。時には体を揺らしながら読経する。その響きは、どこかジャズのセッションのような、躍動的なエネルギーに満ちていました。

旅を終えて

「厳しい自然の中を歩く」ことは、感覚を研ぎ澄ませ、自己を再発見する行為です。

山門の額縁に収まった富士山を眺めながら、私は自分が単なる「現代人」である以上に、この峻険な山と水と共に生きる「アジア・モンスーンの山岳民の一員」であること(このような考えが心の奥底にあって、東南アジアの山岳民に惹かれて旅をしていたこと)を思い出しました。

山門から見た風景と、身体に響く読経のビート。 それは、厳しい自然を愛し、神仏と共に生きる人々が千年にわたって奏で続けてきた、命のリズムでした。

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