はじめに
大阪の千里にある万博記念公園に「国立民族学博物館」がある。
通称「みんぱく(民博)」と呼ばれる。
民族学・文化人類学に関する調査・研究を行い、世界の諸民族の社会と文化に関する情報を人々に発信する。そのために、1977年(昭和52年)11月に開館された。
2025年9月に発売されたばかりの「変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館」という本には、この国立民族学博物館は変わり者たちが生息しているという。さらに、ベトナム旅行の自分のバイブルである「道を歩けば、神話 ベトナム・ラオス つながりの民族誌」の著者 樫永真佐夫さんは、国立民族学博物館の教授である。
国立民族学博物館には、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアに大きく分けた地域展示と、音楽・言語の展示がある。驚くのはその規模で、1周すると5kmもあり、展示品は1万2千点。東京国立博物館の展示数が3千点。運慶展で東京国立博物館に行った時に、その規模にも驚いたがその4倍の展示物がある。
以前の記事 →「東京国立博物館で開催中の運慶展「祈りの空間ー興福寺北円堂」に行く」
ということで、大阪に行く機会を利用して国立民族学博物館に行ってきた。大阪の人は遠足などで行ったことが多いが、東京での認知度は低いかもしれない。しかしながら、大変良かったので、少しでも興味がある方にはぜひ訪問してほしいと思った。
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国立民族学博物館への行き方
万博公園には、新大阪駅からは距離は近いが時間は結構かかる。
新大阪駅からは地下鉄御堂筋線(北大阪急行線)の千里中央駅で下車。大阪モノレールで2駅で万博記念公園駅に着く。そこから15分くらい歩く必要がある。

千里中央駅で御堂筋線を降りて、大阪モノレールに乗り換えた。未来都市みたいな街並みに、心が動揺。反対方向の大阪空港行きに乗ってしまい、引き返して、万博記念公園駅に着く。モノレールは、門真市駅行きに乗車しなければならない。
駅を降りると太陽の塔が見える。太陽の塔の向こう側に国立民族学博物館がある。あいにくの雨と遠さに呆然とした。大阪の殺人的な暑い夏も歩くのに注意が必要と思う。

高速道路の歩道橋で越えると、万博公園の入り口がある。そこでチケットを購入する。
万博公園の入園券と国立民族学博物館のチケットがセットで購入可能。最近は何でも千円を超える時代、一般展示の価格は780円とお得な設定。

国立民俗学博物館は、太陽の塔の裏の真っ直ぐの方向にある。

万博公園に入ると、太陽の塔とご対面。小学校1年生の昭和50年頃に来たことがある。周りに屋根があって、太陽の塔の顔が少し上に出ていた記憶があったが、今はない。昭和52〜53年に屋根は撤去されたとのこと。知り合いに聞くと、この姿が普通。屋根は知らないという意見が大半だった。自分がいかに古い人か実感した。

斜めから見ても、インパクトがある太陽の塔。

後ろ姿は、少しコミカルな感じ。目は怖め。
今でこそ「太陽の塔」はみんなに愛されているが、大阪万博が開催された当初は気持ち悪いと言われて、評判が良かった訳ではない。今年の大阪万博の「みゃくみゃく」も気持ち悪いと当初評判が悪かったが、どんどん好感度が上がっていった。似ている傾向にある。このように当初評判が悪くて、その後印象をが変わるものを作り出したり、選考した人は、先見の明があると思う。自分なりのしっかりした判断基準を持っており、こういう人が記憶に残って、後世まで残る作品を作り出す。東京オリンピックのマスコットは、投票で選んだため無難になり過ぎて、忘れ去られるのかもしれない。

国立民族学博物館
雨の中、駅から15分歩いて到着。
写真は晴れているが、帰りに撮った写真。4時間以上、博物館にいたら晴れていた。
博物館のルートは5kmでスニーカーで来ることがお勧めと「変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館」に書かれてあった。「今日は歩くぞ」と心して中にはいる。

入り口は2階にある。
入り口手前の無料展示エリアにも色々な展示や動画がある。なかなか有料の展示場に辿り着かない。

無料の展示エリアには、世界各国の仮面が展示されている。インドネシア、日本、メキシコ、ボリビア、ルーマニアと意外と共通点があるように思えた。

まず地域展示のオセアニアゾーンを見る。
最初はオセアニアには興味をないかなと思っていたが、展示を見始めると、色々な民族がいて、興味深い。エリアもミクロネシア、メラネシア、ポリネシアと分類されている。日本列島に人類が渡ってきたのは約4万年前。一方、このエリアには紀元前1500年前に東南アジアから人々が移住してきた。歴史は短いけれど、島々の環境に合わせて独自の文化を形成していったことがわかった。

オセアニアだけでもこれだけの仮面(展示は保管しているものほんの一部)が集められている。さすが変わり者たちの秘密基地だ。
この時点で、全ても見るのは無理と判断。今日の持ち時間は4時間。さらっと国立民族学博物館の概要だけでも把握しようという作戦に切り替えた。

メキシコのガイコツ君たちの展示。メキシコでは、11月2日はカトリック教会の死者の日である。人びとは墓に花を供え、ロウンクを灯して、死者との霊的な交流を図る。メキシコでは特にガイコツ人形が作られ、死を身近なものにしている。

民族の取り扱う範囲は幅広い。このポスターはヨーロッパで8時間労働を掲げたものである。100年くらい前のものから現在のものまでの展示の範囲は広い。

東南アジアエリアでは、ベトナムのモン族の村で見た麻から布を作る工程を説明してくれている。ベトナムでは9番の糸を紡ぐ工程と10番の布を織る工程を見ることができたが、このパネルの説明で全ての工程を理解できた。

現在のものの展示例として、インスタントラーメンも展示されている。これらはアジアでなく、ヨーロッパで売られているものである。移民の増加に伴って、エスニック食品店が増えて、様々な地域のインスタントラーメンが普及しつつあることがわかる。
よく集めて展示したものだと感心するし、民族学という学問の守備範囲の広さを思い知った。

アフリカの展示では、アフリカにも昔から王国があって、交易が盛んで高い文化があった。
このパネルを見て、和辻哲郎氏の「アフリカの文化」という本にアフリカ大陸には高い文化があった。それをアメリカを征服したヨーロッパ人たちが、このアフリカの沿岸にも侵入し、破壊したと書いてあったことを思い出した。なぜ文化を破壊したかというと、アメリカの新大陸で奴隷を必要としたからである。
中世の末にヨーロッパの航海者たちが初めてアフリカの西海岸や東海岸を訪れたときには、彼らはそこに驚くべく立派な文化を見いだしたのであった。当時のカピタンたちの語るところによると、初めてギネア湾にはいってワイダあたりで上陸した時には、彼らは全く驚かされた。注意深く設計された街道が、幾マイルも幾マイルも切れ目なく街路樹に包まれている。一日じゅう歩いて行っても、立派な畑に覆われた土地のみが続き、住民たちは土産の織物で作った華やかな衣服をまとっている。さらに南の方、コンゴー王国に行って見ると、「絹やびろうど」の着物を着た住民があふれるほど住んでいる。そうして大きい、よく組織された国家の、すみずみまで行き届いた秩序があり、権力の強い支配者があり、豊富な産業がある。骨までも文化が徹っている。東海岸の国土、たとえばモザンビクの海岸においても状態は同じであった。
和辻哲郎氏の「アフリカの文化」

ラオスで見た托鉢の人形があった。3体も展示されており、臨場感を出そうという努力がすごい。

東南アジアの少数民族が持っているカゴだけでもこれだけ集めている熱意の凄さも感じた。

インドエリアの言語分布図。見た目が日本人い近いシナ・チベット語族やオーストロアジア語族に興味があり、行ってみたくなるところが増えてしまう。

中国南部の少数民族の展示。知っている少数民族も増えてきた。

これは日本の昔の家屋。今はなかなか見られないが、こういった昔の文化を残していくことも民族学の仕事のひとつであると理解した。

1日でもいることができる国立民族学博物館。食堂もあり、しっかりポークソテーを食べた。

興味深いのは、民族関係を集めた売店。このような品揃えの本屋は見たことがない。

嬉しくなって、「焼畑の民」と「梅棹忠夫の日本人の宗教」を購入。
新幹線のなかで熟読しながら東京に戻る。面白かったので、別の記事で紹介しようと思っている。

今後、世界が均質化していく時代。今のうちに違いを見ておきたいという気持ちが強くなった。また、今は地域によって文化や風土が違うが、この違いを後世に残していくというのが、民族学のひとつのミッションなんだと改めて思った。



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