「高畑勲展」
麻布台ヒルズで「高畑勲展」が開催されていたので、行ってきた。
日本のアニメーションを作った男と紹介されており、「アルプスの少女ハイジ」や「母を訪ねて三千里」でアニメーションで思想を語ることを表現している。それまでのアニメーションは、非現実的なことを取り扱っていたが、高畑勲氏の作品は、人間味を溢れるキャラクターで善悪二元論では割り切れない複雑な人間性を持っている。また、自然や愛などといった社会的なメッセージも語られている。
小学生の時によく見た「アルプスの少女ハイジ」のストーリーを紹介する。
幼くして両親を亡くしたハイジは、5才のとき、叔母のもとからアルプスの山小屋に住む祖父(アルムおんじ)に預けられます。大自然の中で、優しい人々とのびのびと暮らす毎日は、 ハイジにはとても幸せな日々でした。 8才のある日、ハイジは都会の街フランクフルトの資産家へ預けられ、そこで足の不自由な少女クララに出会い仲良くなりますが、環境の変化により体調を崩してしまいます。心身を癒すためにアルプスに戻ったハイジのもとを訪れたクララも、 周囲の協力で、やがて歩けるようになるのでした。
高畑勲氏は、フランスのアニメ「やぶにらみの暴君」を見た時に、アニメーションで思想を語ることができるということに気づいて、高畑勲氏のアニメーションには思想やメッセージが込められている。
「風の谷のナウシカ」の内容的興行的成功を機に、1985年の「天空の城ラピュタ」製作時に、宮崎駿らとともにスタジオジブリの創設に関わった。監督として「火垂るの墓」(1988年)、「おもひでぽろぽろ」(1991年)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)を制作している。

週1でアニメーションを制作するために
「アルプスの少女ハイジ」や「母を訪ねて三千里」では、妥協せずに毎週アニメーションを制作すると言う過酷なスケジュールであった。そのため、高畑勲氏は「人間関係、心理状況を全てのスタッフも共有。また、テンションチャートというアニメのキャラクターが場面によってどういう心理状態の変化しているのかもしっかり共有している。自分の考えていることを共有することで、スタッフの認識が統一されて、後戻り作業が発生しない。また、スタッフからの意見を汲み取りより良い作品に仕上げて行く。
後輩には宮崎駿氏がいて、絵コンテをさらに具体化したレイアウトをしっかり作り込むこむ手法を確率している。全てのスタッフの認識を合わせるだけでなく、天才同士が刺激しながらより良い作品を作り上げていった。刻銘に書かれたメモなどが展示されており、作品の制作について窺い知ることができた。
パパンダカレー
麻布台ヒルズの喫茶店では、「高畑勲展」の特別メニューがあった。

せっかくなので、「パパンダカレー」(1,780円)を注文して食べてみた。パンダちゃんを食べるのが申し訳ないような感じだった・・・

ハイジとクララの再会のシーンについて
以前の記事”「トヨタ 中国の怪物 豊田章男を社長にした男」を読み、中国の現代歴史から学ぶこと”で、「場の空気に流されないためには( 高畑勲氏が「火垂るの墓」について語る )」というのを書いた。そこで、高畑勲氏の「君が戦争を欲しないならば」という本を紹介した。
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高畑勲氏は戦時中の空襲で、家族バラバラになった。数日後、焼け跡を回って、家族の再会を果たしたと言う。その家族の再会が全然劇的でなかったので、ハイジがフランクフルトから山のおじいさんのに戻ってくるシーンで、思いっきりおじいさんの懐に飛び込むシーンとしたとのこと。
いまのテレビドラマだったら、――私の名前は勲と言いますが、母親が「勲!」って呼びながら手を差し伸べ、こちらも「お母ちゃん!」とか言いながら駆け寄って劇的な抱き合いが起こるわけですよね。 でも、そんなことはまったく起こらなかった。何となくウロウロにやにやして近づいて、いつの間にか日常に戻る。この、どこか情けない情景はもう、私にとっては忘れられないですよ。 それで、『アルプスの少女ハイジ』という作品をつくったとき、フランクフルトからハイジが山のおじいさんのところに戻ってくるシーンで、思いっきりその懐に飛び込ませた――子供のころにこんなことができたらどんなによかったろうか、なんて思って。
最近のドラマは表現が大げさすぎる感じ。ドラマの「新幹線大爆破」でもみんなパニックになりすぎじゃないかと思った。実際はこのような普通という感じなのが、普通なのかもしれない。
63ページで短時間で読める本。高畑勲氏の思いを知ることができるので、「高畑勲展」とともに紹介します。
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