はじめに
本日は麗江から大理に移動。
「大理」は、昆明市の西約300kmに位置する。かつて南詔国と大理国の都が置かれた場所。現在は、大理ペー族自治州の州都となっている。その名の通り大理石の産地として有名である。
そのため、多くの寺院や遺跡が残されており、特に、崇聖寺三塔や南詔徳化碑などが有名。
地図で見ると、この旅もシャングリラからずいぶん南下してきた。標高も3,300mから2,000mに下がって過ごしやすい。

大理では、「大理古城」と「崇聖寺三塔」を散策する。
昼の寝台列車に乗って大理へ
高鉄のレールを寝台車が走る。大理まで約200kmで472円。時間も普通の電車と30分しか変わらないで、2時間59分で着く。
この列車の番号はY762。通常の車両の列車番号はCで始まる。寝台列車(硬臥)が暇しているお昼間に近距離の座席列車として運行・販売しているパターンのようだ。2階建ての車両というのも珍しい。
東京の人にとってロープの防護柵は珍しいが、大阪ではJR大阪駅や近鉄阿部野橋駅などで見かけるタイプ。

2段寝台の下段を4人ずつ座り、8人のボックスシート。20代から30代の前半の若い静かなメンバーで良かった。(写真は3段寝台の部屋)背が高いと頭が上段に付いて、背筋を伸ばせないのは少し辛かった。
昨日の車で、猛烈に声の大きいおばさんがいた。話かかけられたらApple Watchが反応。90db超えていて、注意喚起が来た。今日は穏やかだ。

満席だったので、圧迫感に耐えられず通路に立つ人は多い。

2階建て車両の上だったので、景色が良い。綺麗な農村が見られた。関東の土は黒いから赤土なのが目につく。途中から右手方向に大きな湖の洱海がずっと見える。電車は洱海の東岸を走り、大理古城は反対の西岸にある。大理駅は南岸にあり、大理古城までタクシーで60元程度。

大理古城
「大理古城」は、蒼山を背にし、洱海に面している。南詔時代(8世紀)に建造されたが、元のフビライハンにより破壊され、現在の原型は明の時代(西暦1382年)に再建されたもの。城壁に囲まれ東西南北にそれぞれ城門があったが、現在は2つのみ残っている。南門から北門に伸びる復興路がメインストリート。麗江古城と違って碁盤の目のような街となっている。古い建物は少ない。
シャングリラ→麗江→大理と昆明に近づくに連れて街が大きくなってきる。そして、街が古びてくる。今思えば、シャングリラは一気に開発されたためか、綺麗な道、建物が多かった。
大理古城へ行く街並みも中国に来ていた20年前の記憶に近くて、中国に来た感じが初めてした。
タンシーの運転手に「なんもん」と言って、古城の南門まで連れて行ってもらう。発音がほぼ日本語だ。

南門が古城の表玄関。真っ直ぐな道を北上し、五華楼を越えたあたりで宿を探した。メインロードには宿はあまり見当たらず少し裏の路地に見つけた。宿の前で、オンライン予約し、チェックインした。この方法が宿を見つけるストレスがなくて良いかもしれない。

お土産屋さんはどの街も同じ感じ。ワクワク感がなくなってきた。唯一違ったのは生ハムを原木で吊るしてある店ぐらいだった。



今までと違うのは瓦。日本の昔の瓦と似ている。瓦と瓦が重なっている部分が丸くなっている。昔は大阪辺りの古い家には残っていたが、最近はお寺くらいにしか残っていない瓦だ。

なかなか街を上から見渡せるポイントがない、五華楼に登ったが上までは登ることはできなかった。一番高く登ることが出来たのは、南門だった。


古城の外に出ると、生活感があって昔の中国の街っぽくなってくる。街の匂いも昔の中国だ。


大理と麗江のどちらに行くかと聞かれれば、麗江の方がお勧め。全体的な街の綺麗さ、落ち着き、お茶を飲んでずっといられそうな雰囲気が良かった。シャングリラは、チベット文化圏でこの2つの街とは比較対象にならないと思う。ここまで来たら行くべきと思う。
大理に立ち寄った理由は、大好きな本である「西南シルクロードは密林に消える」で高野秀行さんが立ち寄っていたからである。今回の旅のルートで、西南シルクロードとの接点は大理しかない。大理で本を読み直してみると、高野さんここで日本人の女の子と遊んでばかりいた(笑)
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崇聖寺三塔
大理古城の北に1.5kmの所にある崇聖寺三塔へ歩いて行った。
お寺にあった説明によると、三塔は唐や宋の時代のもの。
崇聖寺三塔は中国南西部の有名な仏塔です。正塔は千尋塔とも呼ばれ、高さ69.13メートル、9.9 メートル四方で、16層の正方形の空洞レンガ塔で、軒が密集しています。唐代(9世紀頃)に 初めて建てられました。南北の小塔はそれぞれ高さ42.19メートル、10層の密集した軒の八角レンガ塔で、宋代 (12世紀頃)に増築されました。3つの塔は雄大で壮麗な姿をしており、古代の勤労者たちの建築における 卓越した業績を示しています。1978年から1981年にかけての修復作業中に、南昭と大理時代の多くの文化 財が発見されました。崇聖寺三塔は、歴史的、科学的、芸術的に重要な価値を有しており、1961年に国務院によって 第一陣の国家重点文化財保護単位に指定されました。
塔の後ろにある崇聖寺は最近建てられたものである。
どこの観光地も入場して、カートに乗せられる。往復と片道があり、登りの片道切符を購入。歩いて下りて来た。
崇聖寺の入り口でカートを降りる。金剛力士像見たいのもブランニュー感がある。

お堂のに着くと奥ににお堂がある。それを5回くらい繰り返す。山の偽ピークは1〜2回くらいだが、5回は辛かった。

下ってきて、三塔がよく見えるところで休憩。洱海の大きさが良くわかる。中国の淡水湖て6番目に大きい。



塔の高さは約70m。なかなかの高さであり、細身の塔。倒れないで今日まで持ったものだ。

雲南省の3都市と梅里雪山を行ってきて、観光地がどうしてもテーマパークになっていて、居心地が悪い。ということで、ラオスに向かうことにする。
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