雲南省•ラオスの旅⑩ ルアンパバーンからモン族とカム族の村を巡る

ラオス

はじめに

今回の雲南省・ラオスの旅では、トレッキングできるように靴、雨具、手袋、防寒具、ファーストエイドキット、ヘッドライトなどの装備一式を準備している。ただ、中国では整備された道以外を歩くことはなかった。ルアンパバーンは自然の山々に囲まれている。トレッキングできるラストチャンスだ。トレッキングしながら、少数民族の村巡りをしたいと強く思った。

トレッキングツアー予約の顛末

ルアンパバーンはラオスで一番の観光地である。街中にはツーリストオフィスも多い。しかし、ツアーの大半は、滝と洞窟巡り、象に乗る、メコン川クルージングだった。テーマパークのような決められたところに行って、決められたことをするのはもう嫌だと思った。

靴は汚れても構わない。ラオスのリアルな山、村、人々に会いたいんだ。

トレッキングの靴(泥の量だけ思い出が多く残る)

トレッキングツアーはあった。しかし、乾季の観光シーズンの12月〜2月がメイン。また、1人でのツアーをアレンジすると高額になるため、トレッキングツアー探しが難航した。結局、ルアンパバーンのツーリストオフィスを10ヶ所以上回った。

予約したツーリストオフィスは「Song Manifa Travel Office」。対応が一番良く、誠実に希望を叶えてあげようと一生懸命だったのが感じられて、ここでツアーを予約した。

「トレッキングしながらラオスの森を見て、少数民族の村を回りながらリアルな生活を見。」というツアーを探していると相談した。

「うーん、観光のトップシーズンの12月〜2月なら予約する人もいるけど。しかも1人だと高いよ。最低は2名からとなっているので、値段はほぼ2倍になる。」とのこと。

「昨日とか一昨日に、トレッキングツアーを予約した人いない?」

「いないねー。今、村に行っても、じじばばと夏休み中の子供が昼寝しているだけ。若者は田畑に行っているよー。」と言われて、一度諦めかけた。しかし、諦めきれず。夕方にツーリストオフィスを訪問して、1人だけのトレッキングツアーを予約した。

「これからツアーに参加する人がいたら、トレッキングツアーをお勧めしてね」ともお願いした。

どうせ口約束かと思っていたら、当日、もう一人の参加者がいて、心の中で小さくガッツポーズをした。「やるね、社長(社長かどうか不明だけど社長っぽかった)。これで40ドル戻ってくる。」と思った。

補足:「Song Manifa Travel Office」には、日本語のガイドもひとりいる。良いツーリストオフィスだったので、お勧めする。

トレッキングの仲間

今回のトレッキングは野郎3人組。

右側がガイドのドラゴン。ラオス後で名前がドラゴンという意味らしい。

左側がもう一人のツアー参加者のタイガー君。中国の四川省出身で、名前がタイガーという意味らしい。

二人合わせて、「タイガー&ドラゴン」だ。ガンガン歩けそうなメンバーで良かった。名前を覚えるもが難しいので、タイガーとドラゴンと呼ぶことにした。

ドランゴガイドは、英語が上手い。さらに、よく喋る。トレッキングだけでなく、自然ガイドのように森、薬草、きのこ、農業、少数民族、歴史などあらゆることに詳しい。

タイガー君は、オーストラリアに留学していたこともあり、英語が達者。彼もよく喋る。中国版のTikTokをやっている。自分のブログを紹介したら、『ベトナムの少数民族に会って、幸せってなんだろうと考えた』が特に感銘を受けたみたい。翌朝に1時間のインタビューを受けた。「中国は情報が限られているので、色々な考え方を広めたい」という希望である。

インタビューを受けて、自分が書いたことを英語で説明できるように勉強しなければならないと反省した。普段は中学生英語レベルの単語を使い回して話しているだけ。表現もプアーすぎた・・・

ちなみに、ツアー客が2名になって40ドル戻ってくることは、タイガー君には黙っている。このブログを読んで知ることになるだろう(笑)

自分としては、40ドルが戻ってくる以上に、タイガー君との出会い、そしてドラゴンガイドとの出会いは良かったと満足している。

カム族での昼食のシーン。手づかみで食べる。

少数民族(モン族、カム族、ラオ・ルーム族)

今回のトレッキングでは、モン族とカム族の村を訪問。モン族、カム族、ラオ・ルーム族が共存している大きめの村(人口が約1000人)からトレッキングをスタートした。近年、高地に住んでる少数民族を低地に移住できるように、政府が技術や資本のサポートをしている。そのため、民族が混じり合った村になっている。

Hmong(モン族)

「高地ラオ」とも呼ばれている。中国の清の時代の少数民族に対する圧政を逃れるため雲南省や四川省などから移り住んできた人が多い。他の民族が住んでいなかった山の頂上付近に住んでいる。精霊崇拝(アニミズム)である。ドラゴンガイドはモンゴリアンと言っていた。顔つきが日本人に似ている。

とうもろこしを食べるモン族の子供達

Khmu(カム族)

「山腹のラオ族」とも呼ばれている。山の中腹(標高300〜800mくらい)に住む。カム族は、ラオス人口の約11%を占めており、ラオスの少数民族の中でも大きな割合を占めている。ドラゴンガイドはカンボジア系と言っていた。顔つきが南国系で日本人とは少し違う。

カム族の子供達

Lao Loum(ラオ・ルーム族)

「低地のラオ族」とも呼ばれている。ラオスの主要民族の一つ。主にメコン川沿いの平地や比較的低い地域に居住している。タイ系の民族。

ラオスでは50もの民族と言語があり、文化的な多様性に富んで、共存している。

トレッキング記録

朝8時半にホテルに迎えにきてもらい、トレッキングに向かう。途中、パイナップルで有名な村を通り、一番大きいパイナップルを購入。昼食後のデザートとする。

一番大きいパイナップルを購入

トレッキングを開始する場所は、ルアンパバーンの街中から20kmくらい離れたところ。脇道に入ると泥だらけの道で、激しい縦揺れと横揺れの道。整備されていない道を歩く感じで、ワクワクしてきた。

小さな村で車を降りたと思ったが、ドラゴンガイドによると「モン族、カム族、ラオ・ルーム族が共存している大きめの村(人口が約1000人)」ということだ。

下の写真は、ラオ・ルーム族の家。2階建てで、2階に住む。ブロック塀に囲われた1階は、ただの空間になっている。高床式の家の豪華版の家だ。

ラオ・ルーム族の家

村を出るといきなりの悪路。足の置き場を間違えると足首まで泥に浸かってしまう。50m進むのにも時間がかかる。

バイクは平気で泥の中に突っ込んでいく。そして、轍がさらに深くなっていく。

ナムカーン川の上流を渡る。橋は木で出来ていて、雨季に流されてしまう。6月は雨季だが、にわか雨程度。7月から本格的雨季で、豪雨によって橋は毎年流される。そして、乾季に新たに橋をかけ直す。

雨季に流されてしまう橋を渡る

タイガー君は動画を撮りまくる。その横をバイクが通っていく。まもなく、流されてしまう橋。所々に穴が空いていて渡るのに気が抜けない。

地元民に活用されている橋で、モン族がきゅうりを担いで、村に売りいくため、橋を渡る。

モン族の村に到着。家を見せてもらう。モン族の家は1階建。ラオ・ルーム族の2階建て家とは全く違う。しかも家には窓がないのも特徴的。タイガー君が、「マイクロソフトのウィンドウズが通じないか?」とジョークを言っていた。

モン族の家

家の中を拝見させてもらう。土間で生活していることが分かった。ベトナムではモン族の集落は山の上にあり、低地民と棲み分けられていた。ラオスでは、森林保護のためなど、政府がサポートして、低値への移住を促している。そのため、先ほどのラオ・ルーム族の村とは近い。

また、状況は改善してきているが、山の上ではアヘンの原料となるケシを栽培しているという問題も残っている。アヘンは高価であり、現金収入が魅力的だが、自分たちで吸ってしまうという問題もあるようだ。ここは、麻薬生産の「ゴールデントライアングル」に近い。「ゴールデントライアングル」とは、タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国がメコン川で接する山岳地帯のこと。 かつて世界最大のケシの栽培と麻薬密売地帯で富を得たことから、「ゴールデントライアングル(黄金の山岳地帯)」という名称が付けられている。

モン族の家の内部

モン族の村を抜けると、砂利が固められた道を歩く。先ほどの泥の道とは大きな違い。日差しが強いなと思ったところで、音楽を流しながらバイクが通る。アイスクリーム売りだった。

アイスクリーム売りが通る

1つ5000キープ(35円)だった。これが地元の価格レベル。(タイガー君は奇抜なヘアースタイル)

ドラゴンガイドの説明は続く。ガイドを含めて、あまり市販の薬を購入しないようだ。道端の草木の葉を取ってきて、「切り傷はこの草、眠れない時はこの木の葉、下痢の時はこれ、胃が悪い時はこの葉っぱだね」と説明してくれる。

周りの木々もプランテーション(農場)とのこと。手前の木もただ生えていないで食用のようだ。その向こうにはバナナの木が生えている。

プランテーション

少し登るとゴムの木の林だった。ゴムは1kgで1ドルで取引される。このカップいっぱいで0.5ドル。かなりのペースでポタポタ落ちている。

ゴムを採集中

ゴム林の中にモン族の集落があった。

学校が夏休みで、子供たちがいっぱいいる。四川省出身のタイガー君の11歳まで、このような村で育ったとのこと。それからは、街に出ている両親を暮らすために村を出たとのこと。本で読んだことがあったが、実体験を聞けた。「モン族の子供たちも、いずれは街にでて働くことになるんだろうね」とドラゴンガイドが言っていた。

モン族の子供達

モン族の村を抜けると、稲が植えてあった。日本で見る稲は、水稲栽培。ここの稲は陸稲栽培である。まるで畑ようで、見慣れない光景である。

陸稲栽培の稲

一面の陸稲栽培の稲。東屋で農家の人が休んでいる。

雨季も始まり、キノコのシーズン。ドラゴンガイドが、数々のキノコを説明してくれる。これは毒キノコ。

ジャングルっぽいところに入ってきた。

歩きながら、モン族は自然崇拝(アニミズム)という話になる。

「日本人の考え方ベースはアニミズムなんだ。モン族など一部の少数民族は、日本人に似ている。」と自分が説明。

タイガー君は「とてもそのように思えない(近代化された日本しか知らないため)」という。

いつの間にかに、「日本人と一部の少数民族は、似ている点は多い」とジャングルの中で力説する自分がいた。

日本には、「八百万の神」という考え方が深く浸透している。「八百万の神」とは、日本神道における信仰であらゆるものに神が宿るという考え方。自然崇拝(アニミズム)がベースとなっている。一方、この神道という考えがベースにある中で、仏教は6世紀ごろに伝来し、日本ではミックスした思想になっている。

日本列島は地理的には辺境の地域だった。多くの地域から人々が大陸から渡ってきた。そして、いろいろの文化が融合して、日本人の文化、考え方が形成されてきたのだろう。新しく日本列島に渡ってきた新参者は、新しい技術や考え方を持っている。そのため、新参者は民族が違うから戦うという姿勢でなく、彼らから学ぶという姿勢。つまり、「おもてなし」という日本の文化が根付いていったのだろうと想像した。

山腹では、焼畑農業がされている。焼畑農業は、7~9年周期の循環式で行われていると、聞いていいたが、ドラゴンガイドによると3年毎とのこと。ピッチが短い。燃やした後なのか、炭が随所に見られた。

<焼畑農業のサイクル>

ある程度植生が回復した焼畑二次林を伐採し、火を入れ、陸稲を植える。収穫を終えると、その畑は数年間放置される。1年も経てば背の高さほどの草が生い茂り、やがて焼畑二次林ではタケノコなどの林産物が採れるようになる。収穫から数年が経ちある程度植生が回復すると、そこが再び農地に選ばれる。

焼畑農業地帯

農地エリアは野生動物が入らないように柵で囲われている。人間は簡易ハシゴで乗り越える。

田植え直後の陸稲栽培の稲。田植えは6月に始まり、収穫は11月。日本より1〜2ヶ月くらい遅い。

農地の休憩用の東屋は機能的に出来ている。日差しを遮りつつ、風が心地よい。

中には、鍋があった、焚き火場もある。少し標高もあるので、虫もいない。野宿すると快適そうだ。

畑には色々なとうもろこし、かぼちゃなど色々の食物が育てらている。ゴマの栽培もされていた。

ゴマの木

湧き出るように雨雲が現れて、にわか雨に打たれる。

にわか雨の中、昼食のために、カム族の村に逃げ込む。

下はカム族の寝室。湿気対策のためなのか30cmほど地面から浮いている。

カム族の家

中を拝見すると、寝室は個室で、蚊帳がかかっていた。タイガー君は、「靴を脱いで寝室に上がるし、日本の畳のようなだ。少数民族の中に、日本と文化的に似ている点がある一面を見た。」という感想。

カム族の寝室

昼食は、餅米のご飯に、ソーセージやハムのようなおかず。手づかみでいただく。ご飯を手にとって、おにぎりのように少し潰しながら丸めて食べる。結構、クセになりそうな味。肉類は保存のため、塩味が効いていて、滝のような汗をかいた後で、美味しい。

食後は、途中で購入したパイナップルをいただく。

その後、ラオスの歴史やベトナム戦争中にラオスに投下された爆弾などの話を聞く。

ベトナム戦争は、ベトナムとアメリカの戦争だが、ラオスも戦場になった。アメリカは、北ベトナムへの物資供給路「ホーチミン・ルート」を遮断するため、ラオス領内で大規模な空爆を行った。「ホーチミン・ルート」とは、南ベトナムの解放を目指す南ベトナム解放民族戦線に対し、北ベトナムが武器や物資を輸送する補給路。ラオス人1人あたり1トン以上の爆弾が投下されたとのこと。想像も出来ないレベルの量だ。不発弾が多く残っていても、今も問題になっている。

また、モン族の一部がCIA(アメリカ)を支援したため、戦後にラオス、ベトナムに住むことができなくなった多くのモン族がアメリカに移民したという「モン族の悲劇」もある。クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』という映画では、移り住んだモン族が出てくる。

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カム族の子供達。顔つきが南国系で日本人とは少し違う。

カム族の子供達

カム族の村の小学校と校庭。

村の学校

幼稚園も学校に併設されていた。この幼稚園は、ドラゴンガイドのツアー会社など7団体がサポートして建てられたもの。自分のツアー代金の一部もこのような事業に使われていると知ると、トレッキングに参加して良かったと思う。

村の幼稚園

ラオスには、中国の資本が多く入ってきている。ラオス中国鉄道も7割は中国の出資。下の写真はドリアン畑。まだ木の苗を植えたばかりだが、数年後にはドリアンの木が大きくなり、多くのドリアンが収穫され、中国に輸出されるのだろう。

ドリアンの丘

木の説明をするドラゴンガイド。木も高いが、ドラゴンガイドも背が高い。そして、自然、文化、歴史など色々なことを教えてくれる。

木の説明をするドラゴンガイド

川辺に行くと水牛が水浴びしていた。初めて、水牛がなぜ水牛と呼ばれるのか分かった。暑いので、涼むために水浴び。そして、ゆっくりと反芻(一度飲み込んだ草などの食べ物を胃から口の中に戻し、再び噛み砕く)をしていた。

水浴び中の水牛

トレイルの最後は、ボートに乗って、川を渡る。車にてルアンパバーンの街に戻った。

ボートで対岸に渡る

ルート図

歩いた距離は、11.8kmで、獲得累積標高は176mとトレキングとしては少なめであったが、普段見られない風景、や文化に触れることが出来てワクワクドキドキの1日だった。

【ルート図】

【標高グラフ】

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