電車旅③ 和鋼博物館で、日本古来の製鉄法の「たたら製鉄」について学ぶ

中国地方

はじめに

今回の旅でやりたかったことのひとつ『たたら製鉄』について知ることです。そのために、安来にある『和鋼博物館』に行きました。

『たたら製鉄』は、砂鉄と木炭を原料に、人力で風を送り込みながら鉄を作る日本古来の製鉄法です。大量生産には向かないものの、不純物の少ない高品質な鉄を生み出すのが特徴です。特に、日本刀の材料となる「玉鋼(たまはがね)」は、この製法でしか作れません。だから外国人は日本刀に魅力を感じているのかもしれません。

日本列島の鉄づくりは、ここ出雲で始まったと言われています。江戸時代には、全国の80%の鉄がこの地域で作られていました。

ジャレド・ダイアモンド氏の名著『銃・病原菌・鉄』でも、鉄は道具や農耕技術の発展に不可欠な要素と取り上げられています。日本列島で鉄の製造が始まる様子を知るというのは好奇心がそそられました。

そこで、『たたら製鉄』の総合的に展示した博物館である『和鋼博物館』に行ってきました。

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青春18きっぷ(5日間用)を購入

松江駅で、青春18きっぷ(5日間用)を購入。3日間用だと途中から新幹線で、5日間用だと東京まで普通列車で帰ることを意味しています。5日間用を購入することで、東京まで普通列車で帰ることを決断しました。価格は、3日間用は10,000円で、5日間用は12,050円です。価格差は小さいです。

決断するということは覚悟することです。今回はほんの小さな覚悟ですが、覚悟しました。

ふと思ったのが、覚悟しない決断は良くないです。例えば、上司から言われたのでという覚悟のない決断は大体うまくいかないです。

コナンくんの列車が入ってきた。『まんが王国とっとり』だったんだですね。

昨日も書きましたが、小泉八雲が書いていた通りです。

この国の人はいつの時代も、面白いものを作ったり、探したりして過ごしてきた。ものを見て心を楽しませることは、赤ん坊が好奇心に満ちた目を見開いて生まれたときから、日本人の人生の目的であるようだ。

日本の面影より

だから、日本人はこんな電車を作るんだと改めて思いました。

安来の和鋼博物館

和鋼博物館は、安来駅から歩いて15分くらいのところにある。海沿いの道をてくてく歩いていく。

安来港は、江戸時代の北前船のルート上にあり、多くの鉄が日本国内に輸送された栄えた。それと同時に、どじょう踊りで知られる「安来節」も全国に知れ渡っていたという歴史もある。

『和鋼博物館』は、昔の鉄の作り方である『たたら製鉄』の総合的に展示した博物館。ネットや本では断片的な情報を入手できていたが、実物を見ると格段に理解が進む。

入り口には、江戸時代に作られた鉧(けら)が無造作の置いてあった。鉧は、鉄+母。日本古来の「たたら製鉄」によって生成される巨大な鉄塊のことである。

「粘土で作られた炉に、砂鉄を入れ、木炭を用いて燃焼させることで鉧が作られます」と読んだことはあったが、実際に見ると違う。下の写真の通りいびつな黒い塊にしかすぎない。

司馬遼太郎氏も「和鋼博物館」を訪問して、次のような感想を残している。

 大量の砂鉄が低温で熔けてそれが冷えた状態が鉧だから、表面がでこぼこであばたもあり、決してきれいな形相でないだけでなく、色も――絵具のチューブから黒と茶と赤をひねり出してざっと練りあわせたような――要するにこの世でもっとも汚ない色彩のものといえるかもしれない。

 要するに、このおそろしく汚ないものを作る技術が、古代最高の技術だったタタラというものであり、さらにいえば、人類は大地の砂鉄をあつめてこの鉧をひねり出したところから、文明を飛躍させてしまったのであるもし鉧というものが存在しなかったなら生産というものも飛躍せず、人類の欲望もかぎられ、人類がこのように繁殖することもなく、そして、和鋼記念館の前に立っている私も、存在しなかったにちがいない。

「街道をゆく7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか」より

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博物館の中では、鉧の断面を見せて、日本刀を作る玉鋼はどの部分を使うのか説明してくれている。

下の写真の真ん中にあるのが「炉」で、左右にあるのが空気を炉に送る送風機の「ふいご」という設備。「ふいご」は人間が上で足踏みをして装置を動かして、空気を送る。江戸時代に「ふいご」が発明されるまでは、自然で空気を送るため、効率が悪かった。風が強くて、湿気が少ない(湿気が多いと炉内の温度が上がらない)ところである山の尾根で製造されていた。

ひとつの鉧を作るのには、3日3晩、夜も寝ないで火の番をするし、「ふいご」も動かし続けるという大変な労力だった。

「炉」の下には、湿気を避けるため、木炭や砂利が敷き詰められている。深さ4mにもおよぶ大仕掛けの地下構造である。一方、「炉」は粘土でできていて、毎回壊しては作り直す。

天候に左右されないように江戸時代に、「高殿」という高さのある建物の中に設備一式をおさめるようになった。当時は、高温の炎で燃えないようにする工夫が大変だった。

「砂鉄」を集めるにも大変な作業。磁石を使って集めるわけではない。「鉄穴流し(かんなながし)」という方法で集めていた。「鉄穴流し」は、砂鉄を含んだ山を崩し、土砂を水路に通して4つの池を通しながら分離させる。最終的に、重い砂鉄が池の底に溜まるという方式。

今は、山を崩して砂鉄を採取して平らになったところが田んぼになっている、そのため、奥出雲には綺麗な棚田が多く残っている。木次線の出雲横手駅の近くで綺麗な棚田を見ることとができるというパンフレットを入手した。ベトナムの棚田も良かったけれど、日本にも素晴らしい棚田がある。

奥出雲町公式観光ガイドより

奥出雲では最良な歯が鋼になる砂鉄が多く算出される。ただし、重要なのでは、砂鉄だけではない。

もっと重要なのは木炭を作る木が必要なこと。木を大量に使うため、木を再生する山が必要。その点でも中国地方の山(日本の山全体に言える)は、木を伐採しても数十年で元に戻るため、「たたら製鉄」には最適だった。

3日3晩のサイクルを一代というが、それに必要な原料は、「砂鉄12.8トン(土砂は1,000トン以上)と木炭13.5トン(森林面積1ヘクタール相当)」である。それで鉧が3.6トンできる。

年間60回操業すると、必要な森林面積は60ヘクタール。50年で森が再生するとしたら3,000ヘクタール(30㎢)の森林が必要。ひとつの炉を操業するためには、30㎢。つまり、5km x 6kmの森が必要ということになる。炉はひとつではないので、森が生産の制約になっていたのだろう。

一方、中国や韓国の山は、日本の山に比べて再生能力がない。そのため、鉄生産の先輩であるものの日本の方がはるかに生産能力があり、農業や文化が発展していった。そして、好奇心の強い民族になっていったと司馬遼太郎氏が書いていた。

乾燥度の高いアジア(朝鮮半島をふくめて)は、そのかがやかしい古代冶金時代の終了とともに社会を閉じ、内部で古代の秩序文明(儒教体制)をみがいてゆくことに専念した。アジアは、それぞれの型に岐れた。

「街道をゆく7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか」より

奥出雲には、たたら御三家という「たたら製鉄」により栄えた山林大地主の家がある。田部家(たなべけ)、櫻井家(さくらいけ)、絲原家(いとはらけ)の三家。阪神の糸原選手は奥出雲の出身なので、何らか関係があるのかもしれない。

明治以降、たたら製鉄が近代製鉄に代わられた後も、島根の政財界の名家として存続した。田部家からは県知事を輩出している。そして、それぞれ「田部美術館」「櫻井家住宅」「絲原記念館」もある。「菅谷たたら山内」には、たたら製鉄の設備が現存している。設備一式が入っている高殿も現存している、

「たたらガイドマップ」という地図を入手したので、機会があれば行ってみたい。

「和鋼博物館」には色々な刃物の売店があった。森で使うナタ。値段も違うけど、我々が使っているのを切れ味が違うのだろう。

天気が良かったので、「和鋼博物館」の後、「大山」を見るために東に向かうことにした。

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