雲南省の香格里拉(シャングリラ)
雲南省の奥地にある香格里拉(シャングリラ)に来た。
雲南省は、四川省、チベット自治区、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどに囲まれた内陸の省。
香格里拉(シャングリラ)は、雲南省にあるけれど、迪庆チベット自治州の都市。チベット族が33%をしめる。チベットに近く標高も高い。

<理想郷シャングリラへゆく 劉けんいち著を一部改正>
香格里拉(シャングリラ)は、中国っぽくない漢字と名前。
シャングリラというのは、映画化された『失われた地平線』(ジェームズ•ヒルトン)に登場する理想郷の地名。 チベット仏教界では、シャンバラという理想郷がある。小説からシャングリラが有名になり、理想郷として知名度が上がり代名詞となっている。高級ホテルにもシャングリラという名前が使われているくらいだ。2002年に 雲南省にあるチベット自治州の県が、その名を採用し観光目的もあり香格里拉県と改名。香格里拉(シャングリラ)という地名ができた。
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中国ではネット規制があり、初めて携帯でブログを書いている。慣れていないのと、なかなか制約があって難しいけど、書いてみる。
日本からシャングリラまで
日本からは飛行機。成田を夕方に出て、成都に午後9時到着。空港近くのホテルに宿泊。
(自分のうっかりミスで、違う空港の近くのホテルに予約したという小トラブルあり。別途、書きます。)
翌日の昼過ぎの飛行機でシャングリラまでダイレクトフライト。飛んでる時間は1時間5分。1泊したけど、一気にビューンだ。
日本のような緑の木々の山。その山と同じくらいの高さを飛んでいき、最後は草原に着陸した。勝手に岩山をイメージしていたので、着陸した瞬間から桃源郷かと思った。
なお、四川航空で安かった。
今回の旅は一番北の奥地から南下し、麗江→大理→昆明→ラオスというルートにするつもり。予定通り行くのか?
補足:
シャングリラの空港名は、「デジャンシャンクリラ空港(迪庆香格里拉机场)」と言う。
空港の乗り場では、「迪庆」と表示されていた。シャングリラの表示がなく少し心配になった。
電子チケットには、「Gyalthang(ギルタン)」と書かれている。チベット読みらしい。
何が何だか分からないけど、空港コードは、DIGが合っていれば良い。難しい。
シャングリラ(独克宗古城・亀山公園)
成都→シャングリラの変化に身体が順応するか不安。標高は400m→3,300m、気温は36℃→21℃という激しい変化。標高は富士山の8号目。高山病になりやすい体質で、いつも富士山では頭が痛くなる。ゆっくり歩くことを心がける。飛行機で来た欠点だ。
ちなみに、自分は「高山病になりやすい」、「車に酔いやすい」、「お腹を壊しやすい」という3弱体質。
空港を出てバスにしようか、タクシーにしようか迷う。街まで7kmくらいで近い。タクシーの運ちゃんの呼び込みで乗ってしまう。料金は30元。15分くらいでタクシーを降りる。
今回のホテルは、中国での情報が多いとのことてTrip.comで初めて予約した。そのアプリで指示された場所に行くがホテルはない。(Googleマップ使いたい)ウロウロと10分。やはりないので、お店の人など3人に聞いてホテルに辿り着く。通りを越えて100mくらい場所が間違っていた。高い読図能力を持ってしても難しい。ここは街中なので、聞けば何とかなる。山ではないので。
チェックイン後は、いきなり富士山8号目まで来たので、少し休憩。無理は禁物。
独克宗古城を散策する。ホテルはエリア内にある。まずは亀山公園に入る。無料だけど、WeChatでQRコードを読み取って、入場する。小さな階段だけど、辛い。休んでいたり、酸素ボンベを持っている人もいる。

山頂とはいっても20mくらいの高さだけど、お寺がある。線香を買うのもQRコード。お賽銭もそうなのか?VISAカードも使えないので、WeChatペイが使えなくなると詰みそうだ。

観光客は民族衣装を着ている。京都や浅草で着物を着るような感じだ。こちらの人のポーズ作りへの力の入れようは半端ない。

上から古城の街並みを眺める。雑然とした家々の並び方に、美しさを感じる。

亀山公園には大きなマニ車が目を引く。マニ車とは、チベット仏教で用いられる仏具の一種。経文が記された筒状の物体を回すと、お経を読んだのと同じ功徳があるとされている。通常は手で持つくらいのサイズだが、ここのは巨大。みんなで回す。人が減るとかなりの重さですぐに息が上がる。

古城を散策。1000年以上の歴史をもつシャングリラの古城のエリアは小さい。歴史はあるが昔の風情を残して新しく作り変えられている。ただ、クネクネした道で探究心が揺さぶられる。京都の三年坂のような気分になる。


どんよりと頭痛はするけれど、平和に1日が終わりそうだった。
晩御飯を食べようとお店に入る。WeChatペイが使えなくなる。急にVISAの SMS認証が必要となるが、 SMSを受信できない。
ホテルに戻って、明日からの梅里雪山に行くためチャターしたドライバーにWeChatで連絡を取る。「支払いはキャッシュで良い?」「OK」だったので、顔合わせを兼ねてATMに連れて行ってもらう。昔一緒に仕事した陣内くん似のガッツのありそうな若者だった。現金社会でないので、そこらじゅうにATMはない。ホテルで昔一緒に仕事した持田さん似の受付の人聞くと、歩いて30分。ドライバーと受付の人に助けてもらった。とりあえず近々の難は逃れたが、このままだと中国で詰みそうだ…
みんな高橋さんだったり、田中さんだったり日本人に似た人が多い。落ちついた気持ちになるけど、問題を解消せねばならない…
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日本人はどこから来たのか?
ベトナムの少数民族に会ってから「日本人はどこから来たのか?」が気になっている。「古代DNA展」にも行ってみた。
シャングリラには日本人ぽい人が多い。チベット族が多く住んでいる。陣内くん似の運転手もチベット族。彼に、「日本には日本族しかいないので、民族という言葉はあるのか?」と聞かれた。「日本は、アイヌという少数民族はいる。ただ、数万年前から1000年前まで多くの民族が日本に渡ってきて、日本族というひとつに融合したと思っている。」と答えた。
尊敬する司馬遼太郎氏の著書「街道をゆく 蜀と雲南の道」に書かれている。雲南の稲作をする少数民族が、日本人の先祖の一派と考えている。自分はチベット族も近くにいるので、渡来して、稲作を始めたのではないかとも思う。
牧畜好きのチベット系をのぞいては、ほとんど稲作民族であり、いまもそうありつづけている。かつ魚を食べ、それも、刺身で食べる。その民族が日本人に似ていることで雲南省で稲作する少数民族が私どもの先祖の一派ではないか、という仮説は、こんにち日本の多くの文化人類学者から魅力をもって唱えられているか、支持されている。私も、そのように感ずる。
ただし、いきなり雲南から日本にやってきたというより、いまひとつ過程があったと考えるのが自然ではないか。
長江を下って日本に来た。ここは、長江のまさに上流だ。
稲作は、夏の日照と多湿をよろこぶ、その適地は、中国では長江(揚子江)であることはいうまでもない。雲南省は、長江の上流にあたる。稲作のひとびと(主として古代タイ語をつかっていた)が、舟をうかべて長江をくだり、中流で展開したのが、春秋戦国の楚であったろう。その下流の江南までくだって勢力をつくったのが、呉と越であったと考えていい。さらにいうと、地理的には呉より越の人が海へ出やすい。古代の越人が、稲と稲作技術と稲作儀礼を持って、季節風に吹かれつつ日本にきた、と考えるのが、いまとなれば実証が困難であるにせよ、自然であるといっていい。逆にいえば、長江下流の越人の遠い祖が、長江上流の稲作西南夷であったろう。
雲南省の少数民族が文化的にも似ている点が多く、日本人の祖先の一派であるのは間違い無いだろう。
雲南省だけで、二十二種の少数民族がすんでいる。まさに民族文化の生ける博物館といっていいが、このうち、古代以来、山谷に集落をつくって稲作をしている民族たちを、私どもは自在に選んで日本稲作文化の祖にしていい。民俗がおどろくほど似ているのである。万葉の世のそのままの嬥歌(歌垣におなじ)が生きている民族が多く、また日本の平安期そのままの妻問婚が生きている民族もあり、その過程として当然、若者が夜、娘の家に忍んでゆく呼ばいもある。妻問・呼ばいなどは、日本の農山漁村で明治期まで生きていた。むろん、漢民俗社会や朝鮮社会ではありえないことである。
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