【日記】登山と読書

日記

電車で登山に行くのが好き。電車で本を読むことができるから。登山に向かう途中、本を読んでいる人を見かける。同じような人も多いはず。『登山と読書』は親和性があると思う。

登山ではないが、土曜の早朝、ゴルフバックを持っている人が日経新聞を熱心に読んでいるのをたびたび見かけた。おそらく、普段しっかりと仕事をしているサラリーマンで、週末のゴルフなんだろうと思った。『ゴルフバックを持つサラリーマンと日経新聞』も親和性があるとも思った。

先日の登山に行く時、『社会的嘘の終わりと新しい自由 2030年代の日本をどう生きるか(渡瀬裕哉)』を読んだ。(Amazon Kindle unlimitedでの読み放題の対象期間で読むことができた)

サブタイトルには『2030年代の日本をどう生きるか?』と書かれいて、本書の後半『自由な社会の人生の生き方』の章で具体的に説明されている。自由な社会では、「強靭性」「選択性」「決断力」が必要だと。具体的に書いているのが、英語の単語をそのまま翻訳したキーワード使っている感じがして、あまり心に響かなかった。

ただ、第2章の『国民から「人生」を奪う政府の取り組み』の部分が面白かった。高度成長期時代に生まれた自分にとって、年金、健康保険、介護保険制度という社会システムは当たり前のものになっている。社会をよくする必要なものと当然思っている。実際、親の介護では、介護保険など活用させてもらっていて、親世代の介護に比べて、家族の負担は激減していることを実感している。『今は、社会システムが過剰になり、生まれてから死ぬまでを国家に管理される。それによって、自分の人生を決める自由度が減っている。』と指摘している。この点を社会システムの成り立ちから説明されており、腑に落ちた。

また、この章を読んで、先進国になると少子化、晩婚化、独身率の増加する傾向にあるが、これも大いに社会システムと関連していると思った。今、少子化対策として、どちらかというと社会システムの強化に走る。高校無償化もこの方向。これは本当には対策にならないのではないか?いっそのこと、社会システムを脆弱化した方が、少子化対策になる。昔ように老後は年金や介護保険でなく家族に頼らざるをえない。そうすれば、独身率は減少して、少子化は解消するのではないか。生きるので精一杯の状態に戻る人も増え、人生を決める自由度はさらに減ってしまう。だから今の社会がそっちの方向への舵取りは無理だとは思う。一体、『現代ではどのような社会システムが最適なんだろう』というようなことを電車で妄想した。

今まで当たり前と思っていることを疑うというのは、正しくものを見るためには必要だと思った。読書は、きっかけを与えてくれる。

また、『読書の静、登山の動』と対照的で、あらためて相性が良い感じがした。

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