三浦英之さんの「沸騰大陸」のルワンダ大虐殺について書かれた項で、気がつけば殺人鬼になっていたという。人は周りに流される生き物だ。
〈ゴキブリを殺せ〉とラジオが叫び、みんなでそう口を動かしているうちに、気がつけば意に反して自分も殺人鬼になってしまっていた――それが加害者の「言い分」だった。
友好的であった2つの民族が大虐殺(フツ族による少数ではあるが支配階級のツチ族への虐殺)に至ったのか? 何が起こったのは大体知られている。なぜ大虐殺(ジェノサイド)が起こったのかは、諸説あるが釈然としない。
そこで、服部正也さんの「ルワンダ中央銀行総裁日記」を読み返す。服部さんは、1965年(昭和40年)から6年間ルワンダ中央銀行総裁を務め上げた。ルワンダに思いっきり飛び込んで、リアルに仕事をしている人。逆境でのポジティブな考え方、時折書かれている仕事に対する哲学など面白い。昔の日本には胆力を持ったすごい人が居たもんだと感心させられた。
「ルワンダ動乱は正しく伝えられているか」という服部さんの見解が増補版に追加されたので読んでみた。服部さんは、ルワンダの大虐殺への報道に対して疑問を感じていて、見解を書かれている。
フツ族出身であるルワンダ、ブルンディ両国の大統領の搭乗した飛行機が着陸直前に撃墜されたことは、ツチ族の支配する「愛国戦線」のしわざと見て、激昂した大統領親衛隊と民衆が暴徒化して、政府が茫然自失の状態のなかで、ツチ族と「愛国戦線」寄りと見られるフツ族要人に対して攻撃を開始したと見ることが自然ではなかろうか。
激昂した大統領親衛隊と民衆が暴徒化して、大虐殺が始まったとの見解である。政府が主導したかは断定できないとのこと。なぜ大虐殺が起こったのかは依然として釈然としない。
ただ、自分なりにひとつ思ったことは、「人間は、デマや煽動により、殺人鬼にもなり得る」ということ。
ルワンダは遠い国で、文化も違うと思うかもしれない。日本でも人間は、デマや煽動により、殺人鬼にもなり得た事例はある。それは、関東大震災朝鮮人虐殺事件。
関東大震災朝鮮人虐殺事件とは、1923年の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした。放火した」などのデマを信じた官憲や自警団などが、関東各地で多数の朝鮮人を殺傷した事件の総称である。
「人間は、虚構(デマ、煽動など)によりあらぬ方向行動する動物であることを意識しなければならない」
本来、人間が虚構で動くことは悪いことではない。人間がホモサピエンスとして発展した理由は、虚構で動くことだからと、ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモサピエンス全史」でも述べられている。
交易は、虚構の基盤を必要としない、とても実際的な活動に見える。ところが、交易を行なう動物は、じつはサピエンス以外にはなく、詳しい証拠が得られているサピエンスの交易ネットワークはすべて虚構に基づいていた。交易は信頼抜きには存在しえない。だが、赤の他人を信頼するのは非常に難しい。今日のグローバルな交易ネットワークは、ドルや連邦準備銀行、企業を象徴するトレードマークといった虚構の存在物に対する信頼に基づいている。部族社会で見知らぬ人どうしが交易しようと思ったときには、共通の神や神話的な祖先、トーテムの動物に呼びかける。
虚構により、人間の協力をすることで発展できた(認知革命)という。
「虚構で動くというのは、人間が共感性を持っている」ことを意味している。
ゴリラの研究の山極寿一さんは「人類は何を失いつつあるのか」でも、過剰な共感性は益にも害にもなり得るという。
過剰な共感性は、肉食獣などの共通の敵が存在した時代には、人間を平和に生き延びさせる原動力や支えとして機能してきました。しかし、やがて外敵はいなくなる。そうなると、新たな敵を作らなければ自分たちのアイデンティティーを保てない。人間が戦争を始めて、延々と続けている背景には、そんなこともあるのではないかと考えている
虚構を信じる共感性が人類を発展させてきた。一方、時には、その共感性が、大量虐殺や戦争を引き起こしている事実である。
戦争をなくすためには、歴史から学ぶことや外交手段はもちろん重要。一方、人間そのものの性質(人間は、デマや煽動により、殺人鬼にもなり得るなど)から対策を講じる時代なのかとも思った。SNSの時代でフェイクニュースも多い。ゴリラから人間社会の成り立ちを学ぶ学問が、実は世界平和に導く糸口になり得るかもしれないと思った。
@東京の天空の集落 御岳の宿坊
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